夏の終わり
昔は、夏の終わりといえばお盆明けから八月の末だった。けれど今年は、九月七日を過ぎても陽ざしはつよく、街角ではポータブルファンを顔に当て歩いている若者とすれ違う。
暦の上では、きょうは白露。夜の空気がゆっくり冷え、草の先に小さな露が宿る頃だという。
朝の窓を開けると、空の色が薄く変わった気がする。
雲の背は真夏より高く、夕方はセミの声に代わり草むらの音が耳にのこる。
ふと気がつくと森山直太朗さんの「夏の終わり」を口ずさんでいる自分がいる。
日中どんなに暑くても、季節の変わり目を感じ取るのが人間なのかもしれない。
年の瀬まで四か月を切った。
あたりまえのことだが、その響きに少し胸がざわつく。
秋祭りや彼岸が過ぎれば、冬の足音とともに年賀状の準備が頭をよぎる。
喪中の知らせもまた、その流れのなかにある。
喪中の家では十月には喪中のはがきを書き始める。
その知らせが届くのは十一月。
秋から冬へと季節が移ろうころ、喪中のはがきは冬の訪れを静かに告げる。
まるで長い廊下で出口を探し、右往左往する中、誰かが小さな明かりで道を示してくれるように。
そう、もうその準備は静かに迫っている。
夏の終わりが、ふとした瞬間に訪れを教えてくれるように。
ろっかん日和でも、この時期から喪中はがきのご案内が始まっている。
喪中のはがきは、喪中の家が年賀状を欠礼するための便り。
ご家族がご逝去された後、残された遺族はわからないことがことさら多い。
喪中のはがきについてもしかり。
もつれ合った糸のように、どこからほどけばよいのか、わからないことが多い。
そのもつれた糸を一本一本ほどくように、不明な点をお教えするのが私の仕事。
移り行く季節の中、紙にことばをのせる仕事を通して、お客様との出会いが広がっていきますように。